ジャーナリズムを目指す大学生の意識

報道に少し関わっているせいか、シンポジウムやイベントなどでジャーナリズムを志す大学生に出会う機会がたまにある。私自身、人に自慢できるような大学生生活を送っていないせいか、そんな学生を見ると単純に感心する。目標を持って大学4年間を過ごすことがいかに素晴らしいか、自分の送った大学生生活が恥ずかしくなる。

しかし、彼らと話をしているといくらか違和感を持ってしまうのも事実である。それは、「私は●●新聞にいきたい」「●●に就職したい」ということを言うからである。私が同じ大学生だった頃は、そんな目標すら持ってなかったけれど・・・

テレビにせよ、新聞にせよ、今はもう斜陽産業と言っていいだろう。そんな学生たちも、実家通いの人は新聞を取っていても一人暮らしの人はほとんどとっていない。それは私の大学時代の友達だって30代半ばに差し掛かるけれど、ほとんどが新聞を取っていない。そんな新聞社に就職したいという。私には信じられない。

5年なり、10年なり、新聞社が持っているノウハウを学んで独立したいというならば話は別だが…

テレビにしたってそうだ。90年代は視聴率20%越えのドラマなんてたくさんあったけれど、今やほとんどない。もはや動画の主流はYouTubeに変わりつつあることは彼ら自身が一番分かっているはずなのに…

報道に触れる機会は今や、ネットが圧倒的だろう。

ブランド力では大手新聞やテレビがまだまだ健在だろう。ネットとはいえ、ニュースを配信しているほとんどが、新聞社とテレビ局というのも現実である。しかし、その影響力は落ちる一方である。

ネットメディアで、大手新聞、テレビとと同じだけの給料を払えるところだってまだないだろう。ネットメディアもまだまだ手探り状態ではあり不安定であることは事実だが、これからの時代、定年までを考えてもネットで何かを切り開いていくぐらいの覚悟を持たなければ、新聞社やテレビ局に就職というのは単なる会社員になるということにしかならないだろう。

カジノ体験記

日本になくてフィリピンにあるもの

それは、カジノ。

 

セブ島に滞在していたこともあってまずは、セブ島のカジノに行った。

後に首都マニラのカジノに行ってわかることですが、マニラのカジノに比べるとセブ島のカジノなんてかわいいぐらい小さいものだった。それでも、カジノ初体験の私にとってはとても新鮮なものだった。ちなみに私が通っていた語学学校はカジノに行くことは禁じられていました。

 

ちょうど、ゴールデンウイークだったこともあって、客の割合は日本人半分、中国人半分というところだろうか。観光地と違ってセブ市内はほとんど日本語通じないけれど、ここでは日本語が通じたし、日本語が飛び交っていた。

 

私はバカラなどカジノの王道は分からないけれど、ブラックジャックならばわかるのでブラックジャックをすることにした。しかし、どうやってお金をコインに代えるのか、初歩的なことが分からない。そこで、とりあえず場になれるために、他の客がカジノをするのを眺めることにした。「stay」など簡単な言葉でディラーとやり取りをしたり、ジェスチャーでカードをもらったり、いらないという意思表示をすることが徐々に分かってきて、椅子に座らず立ったままでも賭けに参加できることが徐々に分かってきた。周りの様子を見ていると、お金をコインに代える場所も分かったので交換所で2000ペソ(4000円ぐらい)をコインに代えてブラックジャックを始めた。

 

カジノに慣れていないのと、とりあえずカジノを楽しむというのが目的なので最小単位でずっと賭けていった。何度かこれでかけたら手元のコインが無くなるので最後だということがあったが、それでも何度か持ち直した。勝ったり負けたりの一進一退があったが、3時間ほど経ったころ、手元のコインが無くなった。

 

カジノ自体は十分楽しんだ。カジノを体験してみようという軽い気持ちで始めたけれど、やり始めたらやはり勝ちたくなる。賭けている額も一回最小単位だと数百円にしか過ぎなくてもそれでも勝とうと一生懸命になってしまった。これがカジノの魔力なのだろう。

 

私は昔、パチンコ店でアルバイトをしていた経験もありパチンコを打っていた時期もあるけれど、それ以上に夢中になってしまっていた。パチンコ以上にカジノはギャンブル依存症に陥る危険性がある気がした。カジノを知るためという目的は自分に言い聞かせて入店をし限度額も決めていたけれど、気が付けば夢中になり時間を忘れていた。

店内では時間を忘れる工夫がなされているので時間が分からなくなる。時計がないうえに、きつめの照明がつけられている。

 

 

日韓関係の改善は若者に任せろ!

日韓関係が悪化の一途をたどっているなどということは簡単であり、出口の見えないトンネルに突入した感はある。このトンネルを抜け出すにはどうしたらいいのだろうか、一人で勝手に考えてみた。

結論から言うと、韓流ブームの中を育った若者に期待したい。今の10代、20代は韓国のアーティストの曲を聴きながら育った人たちが多くいる。10代はTwice、20代はKARAといったところが代表的だが、私の知らない韓国のアーティストはたくさんいるだろうし、私が想像している以上に韓国発の音楽を聴いて育っているだろう。

今の10代、20代の若者はあまりニュースを見ないといわれている。日韓の歴史もあまり学校で習わないので、それほど詳しくはないだろう。これ自体が問題なのだが…しかし、思春期の頃に影響を受けた文化というのは体に染み込んでいて忘れないものになっているに違いない。

ネトウヨの人などは感情的に韓国を嫌いなのかもしれないが、今の若者は逆だろう。韓国の文化に対して憧れすら持っているかもしれない。

政治家や政治を語る人たちは理屈でものごとを考えるが、文化が染みついた人たちは、韓国に対して感覚的に好感を持っているだろう。そして、韓国の同年代の人たちと共通の話題を持っていることは何よりの強みだろう。例え、言葉が分からなくても同じリズムを共有できるだけで何か分かり合えるものがあるだろう。

ニュースをみてなくても、歴史を知らなくても、つながれる武器を持っている。そんな若者たちが日韓の新しい架け橋になってくれるのを願いたい。

 

ホワイト国除外を選挙の切り札にした安倍政権

日韓関係が悪化の一途をたどっている。政治的から始まって、それが経済にまで影響を与えて始めており出口が見えない泥沼にはまってしまったようだ。今の状況がよくないこと、さらに悪い方向に悪い方向に進んでいるのは私でもわかる。

しかし、私は日本の動きはウォッチしているけれど、韓国の政治の動きを日々ウォッチしているわけではないので韓国が悪いと一概には言えない。

私から見ると、むしろ日本が仕掛けたかのよう見えてしまう。少し整理をしてみると、大阪で行われたG20で安倍総理は文在寅韓国大統領と握手はしたけれど会談はしなかった。そして、G20が終わった後、すぐにホワイト国から除外することを発表した。これだけならまだしも、その後、参院選に突入していき与党の圧勝の一因となったことは忘れてはいけないだろう。

選挙に利用したという批判はほとんどないが、韓国に対して強気になることで有権者の支持をある程度得たことは間違いない。

これを主導した世耕大臣は選挙特番のインタビューで「この問題の対応で選挙区にはほとんど入れなかった」と述べていたが、これこそが選挙対策だったのではと思った人も多かったに違いない。韓国に強気に行くことで支持が得られるだけでなく、毎日のようにテレビのニュースに出ることができたのだから。

内政で行き詰まったら海外を攻撃するというのはある意味、政治の常とう手段である。アメリカは、内政で行き詰まったらよく中東諸国にミサイルを打ったりする。それが支持率を回復させるということはよくある。

今回はこれと同じ方法を安倍政権も使ったのではないだろうか。

もちろん、韓国だって日本に強気に出ることで支持率を回復させたいという思惑はあっただろうが・・・